今では、日本のプロ野球選手がメジャーに移籍するのは珍しいことではなくなってきているけれど、それでも、新しい環境で仕事や生活をするのはやさしいことではないはず(もちろん喜びも大きいはず)。
当時、ドジャースの監督だったラソーダさんの父親は、イタリアから移民としてアメリカに渡ってきた人。父親の苦労を知るラソーダ監督は、一人で異国にやってきた英語を話せない野茂に「居心地のよい家族的な気分を感じてほしい」と、大らかに受け入れてくれていたようです。
野茂さんは、日本人がメジャーに挑戦する道を切り拓いた人なのだと、改めて見入りました。
当時のドジャースは、1軍選手が40人いる中で、6カ国14人の外国人選手(ドミニカ、ベネズエラなど)がいる、メジャーリーグ一でも一番の多国籍チームだったそう。
ラソーダ監督はチーム全体をひとつの家族と考え、「人種や国籍なんて全く関係ない。野球ができるかどうかが重要」と話していました。
野茂さんとラソーダ監督との間には、お互い尊敬・信頼しあっている空気を感じたと、のちにドジャースに入団した石井一久さんは番組放送後のスタジオで話していました。
今年3月21日、ドジャースタジアムで行われたWBC準決勝(日本―米国戦)の始球式に登場した野茂さんとラソーダさんからも、そんな空気が伝わってくるのを感じました。私たちの目に二人が映ったのはほんの少しの時間のことだったのに。
チームにロサンゼルスの人口構成を反映させたいという球団の戦略・意図がしっかりとあったのです。実際に、メキシコからやってきた選手が活躍をしたとき、ヒスパニック系の観客が増えたそう。
そうした球団の姿勢も、野茂さんの活躍の背景にあったことを知りました。
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