2020年3月30日
日常を取り戻すために、アスリートである前に。
新型コロナは誰もが感染する可能性があるもの。プロ野球界に感染者が出るのは時間の問題だった。と、3月28日の記事に書きました。
いつなってもおかしくないとは言え、私たちに出来るのは、できるだけ感染を遅らせる行動をとること。
3月27日、「荻上チキ Session-22」(TBSラジオ)で、JOC理事の山口香さんへのインタビューを聴いて、しっかりとそう思いました。
山口さんは、いちはやく東京オリンピックの延期を提言していた人。
政府やオリンピック関係者の間で、「中止」や「延期」と言えない空気があっただろう中、ハッキリと考えを示してくれていた人でした。立派だ。
インタビューでも、現状を見る視野の広さを感じた。また、それをクリアな言葉で伝えてくださっていて、とてもよかった。(こういう人にトップに立ってほしい)。
関係者にとっては、2013年にオリンピック招致が決まってから、7年間という時をかけて作り上げてきたもの。
それを消したくない、無駄にしたくないという感情が先に立って、いま現実に世界で起こっていることに向き合えなかったというより、「まだ大丈夫なんじゃないか」「もう少し待った方がいいんじゃないか」と、延期の議論がなかなか起きなかったのではと語る山口さん。
しかし、国境が封鎖されるという事態まで起きている世界各国の状況を見ると、これはなかなか難しいんじゃないかという気持ちが大きくなっていって、「延期」について発言したという。
「中止」という最悪のケースも起こり得るし、考えておかなくてはいけないけれど、その選択肢が出てくるということは、感染が長引くということ。人類が受けるダメージがとても大きくなること。
そうならないよう、早い段階でウイルスに打ち勝つためのワクチンが開発され、新薬が開発されるという流れに期待したいと、希望をつなぐ意味で、「中止」ではなく「延期」をあえて提言したという。
オリンピックを開催することで世界が平和になるという考えがある一方で、平和な世界があるからオリンピックができる。平和な日常があるからスポーツができる。そのことを私も含めてアスリートたちもかみしめる時期。
アスリートも、開催の時期が決まらなくてストレスフルな生活を送っているとは思うけれど、アスリートである前に、一市民であり、一国民であり、人間。
この時期を我慢するというより、今はまず終息を願う、終息できるように私たちも協力する、という姿勢がまず第一。
その先に、みんなが努力して終息が早まれば、平和な日常が生まれ、みんなが喜んでオリンピックを祝福してくれるというふうな大会になればハッピーです、と語っていました。
オリンピックに照準を合わせて準備してきたアスリートに対してのフラットな言葉、心に残りました。
「自分たちは感染しないだろう」と自分を例外に思う時期はとっくに過ぎている(世の中の大部分がここに至るまで悠長に見えた)。
プロ野球の開幕も、もはや選手たちでコントロールできるものではないけれど、今年はシーズン中止になるかもしれないけれど、慎重な行動が大切になってきますね。それは他の職業の人たちにとっても同じ。
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●新型コロナ、野球界にも出るべくして出た。
●トップに立つなら決める覚悟を持て
●オリンピック延期で思った3つのこと
2020年3月28日
新型コロナ、野球界にも出るべくして出た。
3月27日、阪神の3人の選手が新型コロナに感染していたことが発表された。
まだ感染者の少なかった2月初旬、ある専門家が、「いずれ誰もが感染する可能性がある。その時期を引き延ばすことが重要」と話していた(こういう客観的なことを伝えてくれる人が政府の専門家会議のメンバーだったらいいのにと思う)。
そんなこともあって、自分もいつか感染することもあり得ると心得ていた。しかも持病があるので、感染したら重篤になるだろうということも。
この週末は東京都などで週末の外出自粛要請が出ているけれど、それまでもあえて人混みに出かけている人を見て、「自分は感染しない(したとしても快復できる)」と思っているんだろうなぁ。と、自分との感覚や立場の違いを感じたりしていました。
というか、いまだに政治家の囲み取材とか普通にやっていますし。おーい、近いよ。マスクもしてないし。そこからして違和感。危機感・説得力のなさがだだ漏れです。
プロ野球選手の感染も時間の問題でした。
これを機に、4月23日の開幕が危ぶまれるという声も聞きますが、選手から感染者が出ていなくても、感染者が日に日に増えているこの状況。開幕は難しいんじゃないかと素人ですら予測できます。
「嗅覚、味覚の異常という初期症状もあるということを分かっていただく機会にもなるんじゃないか」と、阪神の藤浪晋太郎が実名で公表してくれたのは、よかった(「日刊スポーツ」)。
公務員の知人が、いま新型コロナに感染したら自殺しなきゃいけない空気が職場にあると話していて、おどろいた。感染はお互いさまなことなのに。(つづく)
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●トップに立つなら決める覚悟を持て
2020年3月26日
オリンピック延期で思った3つのこと
3月24日、東京オリンピックの延期が決まった。
1年後、新型コロナの感染が終息していなければどうする?・・・という発想には目をつむったまま。1年以内になんとかなっているだろう的な楽観にもとづいた決定。
「今後人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で東京オリンピック・パラリンピックを開催するために、IOC、バッハ会長と緊密に連携をしていくことで一致をしたところであります」とは首相の談話。
達成感を感じているように見えましたが、「完全な形で」とか調子のよい言葉をまたしても使っていて、その軽々しさで地面から浮いてしまいそう。
最悪の事態を想定してプランを練るのがトップの仕事だろうに(水面下では中止のシミュレーションも行われているのだろうけど)。
延期決定に、JOCの山下泰裕会長は、「人生にはいろんなことが起こる。思う通りにいかないこともある」と語っていた。
現役時代、柔道の日本代表に選ばれながら、1980年のモスクワ五輪を日本がボイコットしたことで、出場出来なかった経験を持つ人の言葉だと思った。
私は選手でも何でもないけれど、政治的な理由でアスリートの夢が台無しにされたあのときの方が、よっぽど地団駄踏みたい気持ちになった。
脊椎損傷を克服して聖火ランナーに選ばれていたある男性が、聖火リレーが延期になったことについて、「いろいろあるけど、悪いことばかりじゃないから」と話していたことも、とても印象的だった。
これも、思いがけない大きな経験をした人の言葉だと思った。
たいていの人は、今まで行われていたものを当たり前のことと思って、執着が強くなりすぎていると思う。
勝負の瞬間に向けてピークを持って行くのはアスリートにとって大事なこと。
とりわけオリンピックのような1回勝負の場では、ことさらそのことに神経が行くわけで、延期による心身の調整の難しさを語るアスリートも少なくない。
その点、調子が悪いなら悪いなりになんとか折り合いをつけていくのが、プロの選手。
シーズンのうちに何試合もあるからできることですが。
そうは言っても、何試合あっても、何度もチャンスを与えられるとは限りませんが。岡田明丈が心配です(唐突)。
甲子園にしても、オリンピックにしても、アマの世界が大きな存在になっていると過度に思われすぎているような、そんなことに気づかされた年になってしまった。
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●トップに立つなら決める覚悟を持て
2020年3月24日
トップに立つなら決める覚悟を持て
プロ野球は4月24日開幕を目指すことに。
新型コロナの感染状況を見て、また変更される可能性も大でしょう。そのつど、日程の組み直しをしなくてはならないだろうから、なかなか大変なことです。
この調子で行くと、おそらくオリンピックは延期でしょう。その間、野球の試合が出来るといいですね。
と言っても、球場の確保ともども、やっぱり日程の調整は大変。IOC(国際オリンピック委員会)には一刻も早く延期を決断してほしい。待機しているアスリートのためにも。
オリンピックを予定通り開催するかどうか、4週間以内に判断すると3月23日に発表したIOC。その悠長さにはびっくりだ。
この期に及んで4週間も猶予を与えるとは。規模は違えど、日程の決断を延ばし延ばしにしていた高野連と変わりないですね。決められない大人たち。
トップというのは、決断する責任を負うもの。どんな団体でも、そのトップに立つ(立とうとする)人は、その責任の重さを十分わかっているのかなと、素朴に疑問を持つことがある。
たとえば、豪雨や地震などの大災害があったとき、首相はもちろんのこと、都道府県知事から村長まで、いろんなトップの人たちの対応をニュースで見ることになるけれど。
人の命を預かるような危険がいつ起こるかわからないと承知して、みな立候補しているのか、たずねたくなることがある。首相クラスなら、その覚悟がないと出来ないとは思うけれど。
そんな重責を担ってまでそのポストに着きたいと考えたのだろうから、その仕事をまっとうしてほしい。
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●プロ野球、いったいどうなったら開幕するか決めてるの?
2020年3月14日
無観客試合の難しさ、こんなところにも。
開幕は4月10日以降となったプロ野球。
無観客で行われることはおそらくないだろうから、貴重な(?)無観客試合を体験できたオープン戦も、残すところ3月15日の1試合。
いつもと違った環境で、選手がある程度慣れない感じを持つのは想像していましたが、別の角度から「なるほど〜」と思った話があります。
3月12日放送の「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)のオープニングで、伊集院さんがこんな話を紹介していました。
オープン戦の実況をしていたTBSの喜入友浩アナウンサーから聞いたという、意外で、でもすごく納得する話。
通常の試合だと、バッターが打つと、打った瞬間、お客さんの沸いてる度合いで、ホームランかどうかがやっぱりわかるそう。
プロの解説者や実況アナウンサーにとって見慣れているはずのホームラン性の打球。
それでも、打った瞬間の観客の「ハァッ」という、声にならないような声の感じで、「これはすごい当たりなんだ」というのを、みんな感じてるところがあるらしいのです。
無観客の静けさの中、外野フライで止まる当たりなのか、ホームランなのか、一瞬で判断する難しさに気づくことに。
無観客だけに、打球の音はよく聞こえるわけで、下手したらより正確に判断できるんじゃないかと思っていたけど、そうじゃないんだと、無観客試合の実況の難しさを紹介してくれていたのでした。
私なんか、初めて球場で野球観戦したとき、打球がどこに飛んだかまったくわからず、ぽかんとしたことがありました。
テレビの中継ではいつもカメラが球の行方を映し出してくれていますから。瞬時に判断できるプロの選手ってすごいなって、素朴に感動してました。
無観客試合が粛々と行われている大相撲三月場所。
あの異様な静けさと、力士同士の身体と身体がぶつかるブリンッという音は、ちょっと病みつきになりそうなものがありますが、横綱が負けても座布団がとばないっ。勝っても負けてもやるせないっ。
小柄な身体で技を繰り出し、自分よりずっと大きな身体の力士を打ち負かすのが魅力の炎鵬。
土俵際で競り合ったとき、大声援の中でアイデアが生まれることがあるとも話していました。
演出家で作家の鴻上尚史さんが「第三舞台」という劇団を立ち上げたとき、こう語っていたことをふと思い出しました。
「まず第一舞台がありまして、それはスタッフとキャストが力を合わせた舞台のこと。第二舞台は観客席。第三舞台は、第一と第二の舞台が共有する幻の舞台。劇団とお客さんが最上の形で共有する舞台、ということで、第三舞台と名付けました」(第三舞台)
競技する人と(スタッフと)、それを見ているお客さんが作り上げる空間。
娯楽って、そういうことなんだと、改めて思うのでした。
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●プロ野球、いったいどうなったら開幕するか決めてるの?
●本番と空気
●無観客試合、プロ野球と高校野球
2020年3月10日
プロ野球、いったいどうなったら開幕するか決めてるの?
3月9日、プロ野球開幕(3月20日)の延期が、発表された。
プロ野球はビジネス。無観客で開催するメリットは何にもないですから、「無観客で開催」という選択肢がないことはもっともなこと。
そのことより、「4月中の開幕を目指す」という発言の方に違和感。
爆発的に感染者が増え続けているわけではないと政府は発表しているけれど、実態は検査を受けている人(受けられる人)がまだまだ少ないというだけ。
4月中に新型コロナの感染が収束すると思えない(収束してくれたらもちろん何よりですけれど・・・)。
この調子だと、4月どころか、開幕は夏場になってしまうのではとか、最悪、今年はシーズンがなくなることも想定しておかないと。そんな状況もあり得ます(オリンピックもしかり)。
世界中で初めて経験する出来事で、わからないことだらけ。状況がどう変わるか、様子を見つつの判断になるとは言え、プロ野球の開幕も、春のセンバツ高校野球の開催も、なんとなくの楽観に支えられているように見えます。
最悪、今年は中止という可能性もあることを考えて、備えないと。
国のトップ自体が、最悪の事態をいまだ想定せず、場当たり的な「なんとかなる」精神で仕事しているように見えますから。
もし中止となっても、球団や選手が被る大きな損失に比べたら、ファンとして、一時期、野球を見るという大きな楽しみを諦めなくちゃいけないことは、小さなことのようにさえ感じます。
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●本番と空気
●無観客試合、プロ野球と高校野球
●楽観的だったカープにポジティブな「悲観」を!
2020年3月9日
本番と空気
3月8日、西武とのオープン戦(マツダスタジアム)。
西武の山川穂高は1号ソロを放った後、無観客の中、テレビカメラに向かってお決まりの「どすこい!」ポーズを決めたそうだ。おっ、やってくれましたか。
が、「アホっぽくて恥ずかしかった。やはり、お客さんがいてこそ」と語っていた(「Full-count」)。
シーズンがもし無観客で始まることになったら、どすこいポーズはどうなるのか。ないならないで寂しい。どうでもいいこと日記。
同じ日、大相撲の3月場所が初日を迎えた。夕方、何気なくラジオをつけて中継に行き当たったのだけど、あれ? やけにアナウンサーと解説者の声がクリアに聞こえるな〜と異様な気配を感じて気がついた。
そうだ、今日から無観客試合が始まったんだった。と、テレビ中継をつけてみた。
想像していたこととはいえ、野球以上にシーンと静まりかえった会場。行司さんの呼出の声が異様によく響き渡る。これはこれで味わい深かったが。
客席にはお客さんがまったくいないとはいえ、土俵上、対戦相手は目の前にいて、取組自体は成立していて、粛々と進行していく。
でもまぁ、ふだんの稽古のときもお客さんがいない状態でやっているわけで。
「本番は練習のつもりで、練習は本番のつもりで」と申しますように、プロたるもの、どんな状況でも勝ちを狙ってたたかっていくわけですが。
中継が見られれば御の字と思っていましたが、お客さんがいないとやっぱり寂しいですね。大相撲もプロ野球も。
見る人がいるあの空気も含めてのゲームなのだと知らされる無観客試合。
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●無観客試合、プロ野球と高校野球
●無観客試合を楽しむ方法
●もし誰も試合を見ていなかったら
●意外な事実・賑やかな応援でよかったんだ
●試合は練習場じゃない
2020年3月6日
無観客試合、プロ野球と高校野球
無観客試合のオープン戦、2月29日から着々と進んでいます。いつもと違った状況で、選手たちのモチベーションにどんな影響が出るのか、興味がありました。
2月29日、ナゴヤドームでの中日戦。鈴木誠也は「初めてのことでしたが、今後慣れてくると思います。でも、いつもはお客さんが入った中でやっているので、モチベーションを保つのが難しいかな」と語っていました。(「スポーツ報知」)
うん、そりゃそうだ。プロ野球は「見せ物」ですもの。
ところで、観客の声援や鳴り物の応援のないゲーム。当然のことですが、打球音や選手の声がよく聞こえているようで、そのことはかなり魅力的。
選手たちの「オーエ」というかけ声が響いているのを聞くと、これって部活の世界! と、懐かしくなりました。
部活といえば、春のセンバツ高校野球。3月4日に、無観客で開催する方向で調整と発表。
他のスポーツの高校の全校大会が軒並み中止となった中で、高校野球の特別さが浮き立つ。これはもうプロ野球扱い。
一部の不祥事を起こした部員のために出場を辞退することになったチームの話を聞いて、それ以外の選手のこれまでが台無しにされることに憤りを覚えたことは、過去に何度もあります。
一生懸命練習を積み重ねてきた生徒さんたちの出場機会が奪われることを望んだりなんかはもちろんしていません。
ですが、資金力・長い歴史・メディアの露出等々、高校野球は他のスポーツとは段違いなものになっている。運営側がそんな高校野球を特別なものと思い込んでいるような異様さを常々感じています。
3月11日に最終判断をするとのこと。決断を下すのはとてもとても難しい状況なのだけど。目前に迫った大会をどうするか、まだ決められないでいる大人たちにも、素朴に驚いています。
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