4月23日、巨人戦(東京ドーム)、2対1。九里亜連と菅野智之、ともに完投という投手戦、菅野に軍配が上がる。
九里は開幕から5試合連続クォリティスタート。この日は8回2失点と、ハイクォリティスタート。カープで一番の安定感。
にもかかわらず、4月17日の中日戦に続き、好投しながらも援護がなく、勝ちをつけることができなかった。
それでも九里は、先週の登板のときのように、この日も、打たれてもマウンドで笑みを浮かべ、余裕を感じさせてくれた。
じつは2日前からふと、じわじわと九里のすごさがやっとわかってきました(九里ファンのみなさま、今ごろ失礼いたします)。
数年前は、抑えるときと、気迫は感じるが空回りしているときが変わりばんこに来る、安定してないイメージが強かった。
それでも、先発でも、ロングリリーフでも、チーム事情に応じて、どんな場面でも引き受ける姿は、すごいなと尊敬していました。
昨シーズンから、ひとつ上の階段のぼったのが見る者にもわかるように、九里の投球に安定感が増してきた。
大瀬良大地がカープのエースとしてマウンドでの佇まいに風格のようなものが出てきたとき、「立場が人を育てる」を目の前で見ることができて、感動した。九里の変化も感動的だった。
一方で、大瀬良は、シーズン通して活躍しているイメージが弱い。故障に見舞われるという不運もありました。その点、九里はタフ。
打席で粘る姿もカープ投手の中でピカイチ。その諦めない姿勢、黒田秀樹の継承者。インコースをぐいぐい突く、そんな投球も、黒田魂。
もう一人のエース、森下暢仁。昨シーズンは、森下が投げていると負ける気がしなかった。チームに勝ちを呼び寄せる、こういう人をエースというのだなと思った。
だが、4月20日のヤクルト戦、7回2失点と好投しながらも打線の援護がなく、2敗目を喫した。ベンチにすわっている森下を見て、切なくなった。
今年の森下は去年以上に「勝たせてあげたい(でも打てない)」という悲壮感を感じてしまう。
メジャーからカープに復帰したときの黒田もそうだった。黒田に勝たせたい、森下に勝たせたいと、どこかチームに緊張が走っている感じがする。
森下にいたっては、森下が完璧でないと(チームは打たないから)勝てない、そんな悲壮感が。
そこは、九里、まわりにそういう緊張感を与えない(だからと言って、リラックスできて打てるとは簡単にいかないのだけど)。
先週の中日戦でも、昨日の巨人戦でも、あれだけ好投して報われなかったら、悲壮感が漂ってもおかしくないのに。
九里を見ていると、「野球は、打ったり、打たれたりするもの」。そういう当たり前のことを感じさせてくれるタフさがある。
エースというのはチームを勝ちに導く人。そういう考え方もたしかにあります。それでも、九里は、大瀬良とも、森下とも違う、チームを支えるもう一人のエースなんだと、昨日、確信しました。
昨日、負けて、ベンチに座っていた九里の横顔、ただただ美しかった。自分の仕事はこういう仕事、そういうものを引き受けているタフさを感じた。
試合後のインタビューの中で、巨人の原監督は「途中で眠たくなるかと思ったんですけど。それは冗談ですけども」と話していた。
投手戦の中、なかなか点の入らない状況について、打線に奮起を促す意味でそう言ったのだろうが、いやな感じがした(原さんはそういう軽口が少なくない)。
選手に対するリスペクトが感じられない。相手チームの九里に対しても失礼な物言いだと思った。
こういう人がトップのチームでなくてよかった。