2021年4月24日

九里亜蓮、大瀬良でも森下でもないもう一つのエース像


4月23日、巨人戦(東京ドーム)、2対1。九里亜連と菅野智之、ともに完投という投手戦、菅野に軍配が上がる。

九里は開幕から5試合連続クォリティスタート。この日は8回2失点と、ハイクォリティスタート。カープで一番の安定感。

にもかかわらず、4月17日の中日戦に続き、好投しながらも援護がなく、勝ちをつけることができなかった。

それでも九里は、先週の登板のときのように、この日も、打たれてもマウンドで笑みを浮かべ、余裕を感じさせてくれた。

じつは2日前からふと、じわじわと九里のすごさがやっとわかってきました(九里ファンのみなさま、今ごろ失礼いたします)。


数年前は、抑えるときと、気迫は感じるが空回りしているときが変わりばんこに来る、安定してないイメージが強かった。

それでも、先発でも、ロングリリーフでも、チーム事情に応じて、どんな場面でも引き受ける姿は、すごいなと尊敬していました。

昨シーズンから、ひとつ上の階段のぼったのが見る者にもわかるように、九里の投球に安定感が増してきた。

大瀬良大地がカープのエースとしてマウンドでの佇まいに風格のようなものが出てきたとき、「立場が人を育てる」を目の前で見ることができて、感動した。九里の変化も感動的だった。

一方で、大瀬良は、シーズン通して活躍しているイメージが弱い。故障に見舞われるという不運もありました。その点、九里はタフ。

打席で粘る姿もカープ投手の中でピカイチ。その諦めない姿勢、黒田秀樹の継承者。インコースをぐいぐい突く、そんな投球も、黒田魂。


もう一人のエース、森下暢仁。昨シーズンは、森下が投げていると負ける気がしなかった。チームに勝ちを呼び寄せる、こういう人をエースというのだなと思った。

だが、4月20日のヤクルト戦、7回2失点と好投しながらも打線の援護がなく、2敗目を喫した。ベンチにすわっている森下を見て、切なくなった。

今年の森下は去年以上に「勝たせてあげたい(でも打てない)」という悲壮感を感じてしまう。

メジャーからカープに復帰したときの黒田もそうだった。黒田に勝たせたい、森下に勝たせたいと、どこかチームに緊張が走っている感じがする。

森下にいたっては、森下が完璧でないと(チームは打たないから)勝てない、そんな悲壮感が。


そこは、九里、まわりにそういう緊張感を与えない(だからと言って、リラックスできて打てるとは簡単にいかないのだけど)。

先週の中日戦でも、昨日の巨人戦でも、あれだけ好投して報われなかったら、悲壮感が漂ってもおかしくないのに。

九里を見ていると、「野球は、打ったり、打たれたりするもの」。そういう当たり前のことを感じさせてくれるタフさがある。

エースというのはチームを勝ちに導く人。そういう考え方もたしかにあります。それでも、九里は、大瀬良とも、森下とも違う、チームを支えるもう一人のエースなんだと、昨日、確信しました。

昨日、負けて、ベンチに座っていた九里の横顔、ただただ美しかった。自分の仕事はこういう仕事、そういうものを引き受けているタフさを感じた。


試合後のインタビューの中で、巨人の原監督は「途中で眠たくなるかと思ったんですけど。それは冗談ですけども」と話していた。

投手戦の中、なかなか点の入らない状況について、打線に奮起を促す意味でそう言ったのだろうが、いやな感じがした(原さんはそういう軽口が少なくない)。

選手に対するリスペクトが感じられない。相手チームの九里に対しても失礼な物言いだと思った。

こういう人がトップのチームでなくてよかった。


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