2021年7月24日

オリンピック開会式は入場行進だけでいい


東京オリンピックの開会式、見ないつもりが、逆にどんなものをこしらえたのか見たくなり、前半は仕事しながら横目で。途中お風呂に入って、最後まで見届けてしまった。

オリンピックの在り方や今回の運営について、ウェルカムという気持ちにはならないが、それでも選手の入場はいつ見てもいいなと思う。


市川崑さんが監督した、1964年の東京オリンピックを記録した映画『東京オリンピック』を見たときも、そう。

調べものがあって見たのだけど、とくに入場のシーンは何回見ても感動してしまう。

当時、あんなにたくさんの外国の人が日本にやってくるのは初めてのこと。脚本に谷川俊太郎さんのお名前があって、「ようこそ、たくさんのお客さま」(ちょっとうろ覚え)というナレーションが素敵です。

昨日の開会式では、「いろんな制約の中でがんばってきた選手たち」みたいなフレーズが出てきた。

でも、新型コロナで公演やイベントを中止せざるを得なくて大きな負債を抱えた人、お店の経営で困難な状況にある人がたくさんいることを思うと、なんでオリンピックだけこんなに大事にされるのか、異様です。


それでも、いろんな国からやってきた、たくさんの人たちの楽しそうな光景っていいものだな、と思う。「ようこそ」って気持ちになります。選手も観客と一緒に楽しめたらよかったのだけど。

いっそ、開会式は選手の入場だけでいいと毎回思う。

いまや参加国(地域)も増えて、入場だけでもかなり時間がかかる。途中、「ただ今、50カ国目です。日本は206番目です」とアナウンスが入って、え。まだ4分の1か、と。

でも、各国の衣装や国旗、選手たちの様子を見ているのが一番楽しい。挨拶と聖火の点灯はさっとすませ、選手の入場メインで。

入場だけでも時間がかかる上に、ショーや、なかなか最後までたどりつかない聖火リレー。しかも、長かったバッハIOC会長のスピーチ。朝礼なら倒れそう。選手が疲れるではないか。アスリートファーストで行こう。


無観客といえど、雰囲気を味わいたいと、国立競技場にたくさんの人が集まっていたのには驚いた(ブルーインパルスの飛行も)。

一度始まってしまうと、何事もなかったかのように収まってしまうのが目に見えるよう。

五輪組織委員会は、森喜朗氏を「名誉最高顧問」に検討しているというニュースが。もちろん、私たちの目に見えない功績や尽力があったろうけど、あんな失言をして辞めた人をまた? 結局、なんにも体質は変わってない。

トップが誰かというのは、ものすごく重要なんだと、つくづく。


今のカープと重なる、重なる。仲間うちでなんとかしようとする。改革する気がない。まともな判断ができるトップがいない(これはベンチのみならず、球団レベルで)。

新型コロナという未曾有の出来事で、ボロボロはがれて見えてきた。オリンピックの在り方を含め、改革のチャンス。でも、何の反省もされないまま、変わらなさそう(とくに日本では)。

新型コロナをきっかけに、若手を抜擢して、活気づいてきたのに、いまだ過去の実績が幅をきかせ、思い切ったチームづくりをしないカープ。

あ~。このIT時代に、当初、感染者数がいまだにファックスで手集計されていたという、日本の取り残されてる感も、12球団で唯一トラックマンを導入していないカープと重なります。このグダグダ感。選手、がんばれ~。


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