1996年の日本シリーズ、ジャイアンツ vs オリックス戦。イチロー見たさに、テレビ中継を見たのでした(1995年に起きた阪神・淡路大震災の翌年のこと。ニールがヒーローインタビューで、ファンに向けて「がんばろうKOBE」の合い言葉を口にしたときのことは、思い出すたび、じんわりきます)。
日本シリーズだったことがよかった。試合の最初から終わりまでまるごと放映してくれるので、試合には流れというものがあるのだと肌で感じることができて、そこで野球の面白さを知ったのでした。
プロ野球の試合を最初から最後まで見たのはおそらくそれが初めて。そうでなければ、この面白さは知り得なかったと思います。
どんなにハイライトシーンが素晴らしくても、その一部分だけでは、本当のゲームの醍醐味は味わえない。というより、別物だといつも感じてしまいます。
初めてプロ野球を球場で観戦したのも、イチロー見たさに出かけた東京ドーム。日ハム vs オリックス戦でした。
その後、イチローはメジャーリーグに渡ったので、あのとき見ておいて本当によかったと思いました。
テレビ中継と違って、球場で見ていると、打った球がどこに行ったのかすぐにわからないことも、初心者には驚きでした。
それほどに野球に詳しくはなかった私でも、この目で見たイチローがほかの選手と違っていたことはわかりました。
外野を守っているとき、イチローは絶えず屈伸をして身体を動かしていました(他の選手は普通に立っていました)。
ネクストバッターサークルにいるときは毎回、相手ピッチャーの投げるタイミングに合わせてバットを振っていました。それは当たり前のことかもしれませんが、その時どのバッターもやっていたわけではありませんでした。
本当に優れた人というのは、素人目に見ても、なんか凄いと伝わってくるものがあると事あるごとに感じます。今だと大谷翔平君がそういう存在なのかな?
技術や存在自体がエンターテインメント、人を楽しませるものになっている。野球に限らず、どんな分野でも。